中東かわら版

№42 イラク:「フィンテック」の急速な普及

 2019年6月6日付『シャルク・アウサト』(サウジ資本の汎アラブ紙)は、イラクにおける「フィンテック」の利用状況について要旨以下の通り報じた。

  •  発展途上国においては、先進的な金融サービスは社会資本の不備のような障害を克服し、人々が金融活動を行う口座を持って金融サービスの世界に参入する機会を提供する。イラクでは2003年以降携帯電話とインターネットが普及した。2014年に「イスラーム国」がイラク領の広範囲を占拠したため携帯電話の台数は若干減少したが、携帯電話の利用が拡大する傾向は続いている。携帯電話の増加は、携帯電話の価格の継続的な下落と、インターネットの通信速度の上昇という現象を伴っている。この二点は、「フィンテック」の拡大の基本条件である。
  • イラクでは、地元の「インターナショナル・スマートカード」社が提供する「Qiカード」の利用が拡大している。同社は、イラク政府による給与や社会保障費の支払い契約を受注したため、生体認証を用いる「Qiカード」を通じてお金を受け取る利用登録者数は700万人に上る。このシステムは、伝統的な現金払い制度にとってかわった。
  • 実際の「Qiカード」の受益者も500万人おり、文民公務員のほぼ全員が登録している。また、「人民動員」の民兵の登録も始まっている。このシステムの利用により、生体情報を用いた人定確認が可能となり、イラクで常態化していたIDカードの偽造に対する現実的な対策を提供できた。
  • 2015年と2016年には、「アジア・セルフォン」と「ザイン・カーシュ」の2社が事業者として認可されたが、両社の金融サービスの利用率は「Qiカード」をはるかに下回り、携帯電話の利用者のうち5~10%程度となっている。
  • 「Qiカード」を通じた給与等の支払いとともに、イラク政府は公共料金等の電子決済も導入した。「フィンテック」を通じた金融取引はすべて記録が残るのだが、このシステムが普及する上での最大の障害は、イラクの汚職・脱税文化である。すなわち、従来の現金決済制度が存続することで最も得をするのは汚職をする者たちなのである。また、諸企業も「フィンテック」の利用により様々な経費を削減できるが、その一方で企業は売り上げを正確に計上し、(従来の制度に沿った過少申告に基づく税額よりも)高額の課税をされるだろう。

評価

 2017年のイラクの人口100人当たりの携帯電話台数は87台、同じくインターネットの普及率は49%である。これは、フセイン政権時代にはいずれのサービスもほとんど存在していなかったことに鑑みれば急速な拡大といえるだろう。こうした環境の中、「フィンテック」の利用が拡大しているのは、「イスラーム国」対策で巨額の出費を強いられた上、様々な社会資本に甚大な損害を被ったイラク政府が、行政の効率化、汚職対策、財政支出の削減などの対策を迫られたからである。

 イラクでは、従来から公務員や軍人・民兵の多くが架空の人員で、彼らに支給されるはずの給与が横領されていることが重大な問題となってきた。記事中にも言及があるが、「フィンテック」の導入はこの問題への有効な対策と考えられる。その一方で、イスラーム過激派対策に当たり部族などから民兵を導入する場合、民兵組織を率いる部族の指導者らを通じて給与が支給されることがあった。この場合、民兵組織の幹部らが人員を過大申告して実際の人員数との差額分を横領するという問題が発生する。また、給与支払いを通じて、部族指導者や民兵組織の幹部が地域社会で強力な権力を握るという現象も生じうる。ここに電子決済が導入されれば、汚職対策の効果に加え、地域社会に対する政府の影響力の拡大も予想される。すなわち、このシステムの導入・普及は、イラクの地域社会の人間関係や、個人・社会と政府との関係を大きく変動させることになるだろう。

 また、一般のイラク人や企業には、従来公共料金の不払いや脱税を当然視するかのような風潮もあったようだが、「フィンテック」が普及すればこのような振る舞いは続けにくくなる。「フィンテック」の拡大は、イラクにおける国家と個人・社会との関係の変化の問題である。これに加えて、「フィンテック」の導入により強力な権能や膨大な情報を持つことになるであろう政府や事業者が管理者として個人・社会を抑圧する可能性もある。国家と個人・社会との関係をどう構築するのかという古典的な問題が、先進的なサービスの導入・普及により一層先鋭化する場面も予想される。

(主席研究員 髙岡 豊)

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