中東かわら版

№87 イラク:シーア派民兵組織の停戦宣言と各勢力の思惑

 2020年10月11日、シーア派民兵組織の1つ「カターイブ・ヒズブッラー」(ヒズブッラー大隊)は、駐留米軍の撤退に関する具体的なスケジュールをイラク政府が提示することを条件に、同軍関連施設への攻撃を無期限に延期するとして、事実上の停戦宣言を行った。今年1月の米軍によるバグダード空港近くでのイラン高官爆殺を受けて、イラク国会では同月に駐留米軍の撤退を進める方向で決議がなされ、8月にはカージミー首相がトランプ米大統領を訪問し、駐留米軍の早期撤退について確認した。ヒズブッラー大隊による今次宣言は、以上の内容を踏まえてイラク政府と米国に対して早期の駐留米軍撤退を促すもので、撤退を反故にすればこれまで以上に激しい攻撃を実施するとの脅迫的な発言もなされた。

 

評価

 駐留米軍撤退は、大統領選挙を控えてアピール材料が欲しいトランプ大統領、国内での米・イラン間の緊張を緩和させたいカージミー首相、また駐留米軍撤退を自組織の抵抗活動の成果と喧伝したいシーア派民兵組織、いずれにとっても利点がある。一方、イラク政府としてはシーア派民兵組織や米・イラン対立だけが国内の治安回復にかかわる課題ではないため、駐留米軍の早期撤退によって国内の軍事的均衡が変化する事態への警戒が強い。

 これに関して、ヒズブッラー大隊の脅迫がイラク政府に与える脅威はそう大きくないと考えられる。なぜなら同組織は米国の強力な報復を避けるべく、人的被害を出さない前提での威嚇の範囲内で攻撃を繰り返すことを常套手段としているからである。むしろ目下の懸念材料は、2007年以来北部クルディスタン地域のPKKに干渉を続けてきたトルコが、駐留米軍撤退の発表にあわせたように8月から軍事活動を活発化していることであろう。

 こうした事情から、イラク政府は北部クルディスタン自治政府との連携を強化し、10月11日には同自治区に隣接するニーナワー県シンジャールをクルディスタン自治政府が統治することで合意を交わした。しかしこれに対しては、シンジャールへの帰還を開始した現地ヤジーディー教徒の諸団体から「逆にトルコの干渉を誘発し、地域を不安定化させる動き」だとして反対姿勢が示され、またヤジーディーを代表する政党の結成が必要と、自治要求を示唆する声も上がっていると報じられる。このように、駐留米軍撤退の利点については各勢力が認める一方、実現後の安全保障環境が未整備である状況が次第に浮かび上がっている。

 

【参考】

中東かわら版「イラン:ソレイマーニー革命防衛隊ゴドス部隊司令官殺害とその波紋」No.165(2020年1月6日付)

中東かわら版「イラク・トルコ:イラク北部におけるトルコ軍の空爆」No.57(2020年8月13日付)

(研究員 高尾 賢一郎)

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